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2006-07-11 7年目の招待状 4.了 [欧州ノ片隅デ]

昔の話。
ホンダのシビックという車のCMで。赤いシビックが、パリの凱旋門の超渋滞網に混ざって周回するヴァージョンがあった。ご記憶の方はいるかしら。

その背景にディープ・フォレストの「フリーダム・クライ」が大音量でかかるのだが、その15秒に、なぜだか毎回胸を掴まれたような気分になるのだった。
ぼんやりとだが、でも取り憑かれたように想っていた。「いつか、あの国に行く」。
そのとき、将来を約束した人もいたのに、あの本気度はなんだったんだろ。何処から来たんだろう。

大変お待たせケツカリマシタ。ようやく最終話。
画集を買った翌朝、電話で叩き起こされた。前日に車で送ってくれたクリスティーヌだった。
「ちょっと渡したいものがあるの。都合の良いときに画廊に来て」。ん~?なんじゃろ・・・。

車で送ってくれた彼女に、夕方、百合の花を一輪だけ買って画廊に向かう。むかいのオークションハウス、クリスティーズの警備員が二人、「お嬢さん、百合がキレイだねぇ」と笑った。お礼なの!と答えて画廊に入ると、ギャラリーのスタッフ全員がお揃いだった。

昨日は送ってくれてありがと、とクリスティーヌに百合を渡したら、「じゃ、これは私たちから差しあげるもの」と、分厚い封筒を一通渡された。中身は、昨日支払った3600フランだった。
なんじゃこりゃ、と顔をあげたら、「プレゼントよ」とクリスティーヌ。
みな、にっこにっこと笑っている。前日は不在だったオーナー主人のガルニエ氏までいる。頭の中は、なんじゃこりゃなんじゃこりゃ、の松田優作大輪唱状態。

ガルニエ氏がおっしゃった。微笑んでおっしゃった。
「それは、フランス滞在を謳歌して帰国なさるあなたへの、我々からのギフトです」。耳を疑う。意味が分からない。
「昨日、クリスティーヌとあなたの交わした会話は聞きました。実に良い話でした。また、あなたが学生とも知らずに、我々はこれだけの代金を頂戴しました。しかし、代金をお返しするのではない。我々は画集をあなたにプレゼントしたのです」。

血の気がひいた。遠慮とか恐縮とか、そういうものじゃなかった。
同情を買いたくてクリスティーヌに話したのではないし、ましてやあたくしは物乞いじゃない。(ボロは着てても心は錦 ーぬあんつて)
自分は買いたくて買ったのだ、戴く理由はない、とか可愛げなく訴えたが、目の前のスタッフたちのにこにこ顔は、そのうち滲んで見えなくなった。涙が止まらない。

「あなたはあの絵の前で動かなかった。感じたのです。それで良いでしょう?芸術は、理解する者、感じる者のためにある。あなたは、あのビュッフェの絵に感じ入られた。我々はその様子に、この仕事をしている幸せを感じた。皆で話し合って、あなたにフランスの想い出として贈り物をしようと決めた。それだけのことです。その封筒をどうかお持ちください。このことはアトリエのビュッフェも了解しています」。

あたくしは子供のように崩れて泣いたと思う。よく覚えていないほど取り乱して泣いた。スタッフたちはその涙を誉めた。きれいな涙だと云った。これはいったいなんだろう、自分は今なにを見ているのだろうと思った。

「また、きっとお戻りください。私たちもビュッフェの絵も、ずっとここにあります。またフランスにきっと帰っていらっしゃい」。自己弁護じゃなく、あれは憐憫からくるものではなかった。あのときの私の心情、煌めくような彼らの微笑みは今も、文章でも絵でも、どんな手段をもっても表現することは難しい。

ひーひー泣いて出てきたこちらの姿を見て、クリスティーズの警備員たちが、通りの向かいから大きな声で聞いた。
「百合のお嬢さ~ん!その涙は幸せの涙?悲しみの涙~っ?」
「もちろん、幸せの涙~!」
「それはヨカッタ(にっこり)。ボンヌ・ソワレ(良い夜を)!」。
これほどにいちどきに、人の好意に満ちた笑顔ばかりに囲まれたパリがあったか。「神様、できすぎ」と思った。「できすぎだけど、ありがとう」。

自分は、長年自分の中で、理由も分からず、さりとて形容しがたいほどに魅せられ、焦がれ渇望したフランスの輪郭の理由を、そこに見たと思った。エスプリなんとやらに触れたと云うと、一気にしゃら臭くなる。あ、今、フランスという国を見た、と思った。
意地の悪い対応、扱いを受けたこともあったし、呆れるばかりの馬鹿さ加減や理不尽さに、「も~、こんな国、イヤじゃぁ!」と叫んだことも少なからずあった。それも紛れもなくフランスだった。

ただ、あのかつてのCMの画像で、ディープ・フォレストの音楽で映し出されて憧憬した凱旋門が、画廊を出て歩き始めたあたくしの目の前にある。(いや、暮らした四年近くずっとずっとそこにあったのに。)
「神様ありがとうありがとう!」と声に出して呟いた。※ちなみに無宗教。
その瞬間に、眼前の光景と、ディープフォレストのCMの、TV画面の中の情景と音楽が一気に胸の中で融合したのだった。これを見に来たのかもしれないなぁ、と。

それから四ヶ月後。日本は、夏の終わりに近づいた、暑い日だった。その日、ベルナール・ビュッフェは南仏のアトリエの、友人たちの集っている部屋の隣室で、自らビニール袋をかぶってその口を閉め、自殺した。
パーキンソン病が悪化し、思うように思うとおりの絵の描けなくなっていた彼にとって、すでに自身は生きる屍だったのかもしれない。そのころ重度の鬱だったせいだ、と云うひともいる。

苦悶にビニールを引きちぎりさえすれば失敗する(=死ねない)手段を選んでも、頑として逝ったことを、実に、彼らしい幕の引き方なのかもしれないと、彼の死を告げる新聞記事に、ボタボタ垂れるものと一緒に笑って、思ったのだった。追悼のカードを送り、少し遅れて飛んで画廊へ赴いた。

今でも、画廊からは隔月でビュッフェ個展の招待状が届く。
その都度、まるで時計の時刻合わせを思い出すように、確認に似たものを感じている。もちろん、それを受け取るこちらが、未だにリトグラフ一枚買えぬ身であることも、個展で顧客になるかなるまいかの潜在的可能性も、彼らにとっては重要ではなくて。それは友情とも違う。
「ギャラリー・モーリス・ガルニエでお待ちしています」。その一文に、自分は自分の中で一生温め続けていけばいい、或る思いを確認して、自分の胸を撫でてみるだけだ。

実に単純だが、日本に不慣れな異国の人々の道に迷う様子や地図を広げる旅行者、お客様に、妙に要らぬお節介を焼くクセがあるのは、異国の路上で袖擦り合った人々に与ったもの、享受したものに起因している。
自分一人のなかで勝手に育って肥満化した、ただのクセである。往々にして、ものごとは過ぎ去ったあとに意味を形づくるのかもしれない。


※Deep forest (ディープ・フォレスト):フランス人のエリック・ムーケとミッシェル・サンチェーズのユニット。フリーダム・クライが入っているのは、アルバム「BOHEME(ボエム)」。
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2006-07-10 7年目の招待状 3. [欧州ノ片隅デ]

画集を眺めて時計は夕方5時前。画廊に入ったのは昼過ぎだったから、まぁ迷惑なことだ。
買うと決め、20キロの重さは別にいいのだが、ポケットに先立つものがない。画集代は3600フランで税別。日本円にしておよそ8万円だった。
ちなみに、その時に借りていた部屋は、とても治安の良いエリアにあることを優先したため(深夜に帰宅してもタクシーを使わなくて済む安全性は結局生活していくに安上がりだと考えた)、屋根裏でも月に3000フランもしたが、フランス政府からアロカシオン(家賃補助)を月1000フラン受けていたから、ほぼ二ヶ月分の家賃相当の買い物だった。
カードが使えないと聞いて、一番近いATMの場所を聞き、外に出た。

ただ、「ねぇ、ホントにいいの?」を自己確認するためだったか、カフェのカウンターで一杯エスプレッソを飲んだ。そこでトイレを借りようとしたら、1フラン硬貨を入れないとご不浄は使えない設定の店だった。躊躇して、少し笑った。トイレに1フラン使うのを迷う自分が、3600フランの画集を買おうとしている、か。
「いい。あれを持って日本に帰ろう。ロンドンでは水を飲んでいればいい」。金を引き出すと口座残金は既に1000フラン弱。これでロンドンで一週間を過ごす。画廊に戻った。

画集の代金を払って、米袋四つ分の重さを抱きかかえて帰ろうとすると、ずっと好意的に接してくれていたクリスティーヌが「ちょと待て」とこちらの手をとり、離れの個室で執務中のオーナー夫人に紹介してくれた。ガルニエ夫人だった。
「彼女、『Hurleur(遠吠え)』がとてもお気に入りなの。あの絵の前から二時間以上も動かなかったのよ。それからね、彼女、あの重い画集を買ったわ」。
夫人は美しいデザインの老眼鏡を外して優雅に微笑み、その様子自体がもう絵画のようなのだ。
絵の印象や個展全体のコメントを求められて、しばし話し込んだ。
夫人は老眼鏡の端を少し噛んで、「ちょっと、待って・・・確か、1枚だけあったと思うわ」。事務所の奧に入り、次に現れたときは、プレス・リリース用の、プロの手による『遠吠え』の特大スナップを携えていた。
「これを、さしあげるわ。あなたの『遠吠え』よ」。

ゾクゾクと鳥肌がたった。両手の上に載せてもまだ余る、完全に作品の隅々まで捉えた一枚は、マスコミの画像差し込みやパンフレットや個展案内として印刷に使うためのものという。
「あなたに貰われたかったのよ、この写真。おもちになって」。
「遠吠え」は確かにこの手の中にあって、涙で歪む画廊のスタッフたちの円陣のニコニコのなかで、あたくしはたまらなく幸福だった。


クリスティーヌがコートを羽織りながら、「ねぇ、画集はものすごく重いわ。外は暗いし寒いし、私ももう仕事が終わるから、おうちまで送ってあげる」と車のキィを見せ、とんでもねぇとんでもねぇと固辞するあたくしの腕を掴んで、「さぁ、行きましょ」と画廊を出た。またこのガレージが大変に煌びやかだった。すごい世界だなぁと苦笑した。

車中、クリスティーヌはあたくしの経歴を聞いた。
日本での仕事を話し、ここでは学生で、国内外の産地を廻りながらパリで学んでいたこと、ここまでやってきた地方や欧州大陸でのスタージュやもろもろ、日本に帰ったらやろうとしていることを話すと、「ああ、なんて夢のある仕事!」と彼女は手をバタバタした。
そう。本当に幸せな仕事なの、と自分も一緒にバタバタ。

「ビュッフェも南仏のアトリエで毎日毎日取り憑かれたように描いているわ、幸せそうよ」と。
作品の価値は周りが決めるけれど、人生の価値は自分の石が宝石であれ砂利であれ、磨き続けることに意味を見いだせるかどうかだと、クリスティーヌは云った。
私が此処で結構だと声かけた交差点を見まわし、彼女は「んまぁ。パリいちブルジョワなカルティエじゃない。素晴らしいわ」と云った。
「ね、日本に帰る前に一度昼食でもご一緒しない?」・・彼女はきっと、勘違いしたのだ。あたくしが彼女たちと近いクラスの生活をしている人間だと。
つまり、それまでのこちらの身なりや様子は皆目気にしていなかったことになる。これがフランスの好きなところだ。

じつはこの画集を買ったから、帰国までは学生食堂でせいぜい一日一食がやっとだと思うんだなぁ・・と馬鹿笑いした。
「ちょっと!あなた、それでどうやって生活するの?」彼女は急ブレーキを踏んだ。
「カルト・ドランジュ(地下鉄、バス共通のパス)もあれば、ルーブル美術館の学生パスも、ロンドン経由の航空券もある。そしてこの画集がある。ほかにはもうなんにも要らないと思わない?」と云った。本気でそう思っていたから。
失礼だけど、あなた・・と言い淀んでいるから、そう、屋根裏棲まいなの、シャワーもトイレも共同だけれど、シャワー室からエッフェル塔が見えるの、それがほんとうに最高なのと云った。本当に本当に最高だったのだ。
そして、これが買えたことが、フランス生活の締めくくりに最大の宝物なのだと云ったら、「そんなに幸せな感慨を持ってくれて、今日逢えたことは私も幸せだった」とクリスティーヌは云い、車のドアを開ける前に、あたくしの部屋の電話番号を聞いた。

「あなたとは、また会えると思うわ」。私を降ろしたあと、彼女はうんと魅惑的にウィンクして消えていった。
ま、まだ終わらぬか・・・?
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2006-07-01 7年目の招待状 2. [欧州ノ片隅デ]

黒いコート一枚にジャケットと少しのアウター、黒ズボン二本、首から冷気を入れないための大きなマフラー、ショートブーツ一足のみの着た切り雀で過ごした最後の冬だった。さらにその終焉の月なものだから、あたくしのコートはあちこち裏からつぎはぎだらけになっていた。ほかはガラス玉のピアスが耳にさがるだけ。
それでブルジョワ街の高級画廊のドアを開けたのだから、なんだかフランダースの犬のネロ気分。

ドアを開けた瞬間、フランスが確固たる階級社会であることを、その空気に改めて痛感した。
華美だが引き算された室内、趣味の良い調度品、かぎりなく品の良いスタッフたちに、「”私の猿展”のポスターを見たのですが、拝見しても良いですか」と入ってきた長身の黄色人種の女の様子は、彼らをびっくりさせたかもしれない。卑下ではない、あまりに「色」が違っていた。
クリスティーヌという受付の初老女性が、にこやかに奧へといざなってくれたのだが、いや、圧巻だった。立ち尽くした。

20点ほどの油絵は、ゴリラ、チンパンジー、尾長猿と、すべて100号以上の大額装。(ちなみに、人物画で云う100号は162×130の人物大サイズ)
日本であれだけ好きになれなかった人の絵は、ハンマー(のようなもの)で頭ガツンとやられたように、あたくしをその場にまったく動けなくしてしまった。
すべての絵を舐めるようにして、気がついたら二時間以上経っていた。その間に、見事なミンクやチンチラを羽織った婦人たちや、仕立ての良いカシミアのコートの紳士らが、画廊スタッフと歓談していた様子も視界の端には入っていたが、まったく気にならなかった。

最後に、どうしても離れられなかった一枚が、これであった。
『Hurleur』(遠吠え)1997年 Galerie Maurice GARNIER, Paris
(当時はデジカメもなくて、これは今の自室にかかる額装を携帯電話にて)

クリスティーヌがこの絵の前で動けない自分の傍に来て、「これがお好き?」と訊いた。「ええ、とても」。
彼女はコクコクと頷いて、また受付席に戻り、存分に眺めさせようとした。
「あの、これ、あたくしでも買えるのかしら」。我ながらぶっ飛んだことを訊いたものだと思うが、その時はほとんど本気だった。
「ええ、もちろん!」クリスティーヌは両手を広げて笑った。皮肉でなく笑った。「あの、おいかほどなの?」「ええと、これは50万フラン」。ええと、んと。日本円で一千万ちょっと・・・ですわ。

「どうして、あなたはこの絵がこんなに好きなのかしら」とクリスティーヌ。「うーん・・、たぶん、この猿、この異国での自分の姿に似ているような気がするから」「それは、非常に興味深いコメントだわ」
「そう。フランスで人生を謳歌したわ。幸せだった。でも、いつもアイデンティティを探して、どこか孤独だった。エネルギーを放出したぶん、じっと力を溜める必要が、あちこちであったの」「あなたの云うことは、人生そのもの」「ああ、まったくそうかもしれない。あたくしがこの国で見たのは、それだったのかも」。

「絵はとても買えないけれど、画集なら自分でも買えると思うの」。

クリスティーヌは満面に笑みをたたえて、上下巻からなる、20キロをゆうに超えるビュッフェの生涯9割の作品を収載したという画集見本をソファ近くに置いて、「ゆっくりご覧になって、いくらかかっても問題ないわ」と席を外したのだった。
そうして本当に、あたくしは「遠慮なく」「ゆっくり」その一枚一枚を捲ったのだった。時間も忘れて。
後半に続けぇ。
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2006-06-27 7年目の招待状 1. [欧州ノ片隅デ]

2013-03-08 これは7年前にある場で公開し、のち埋めたものだ。今回、あるリクエストに当時のまま再掲する。


数日分の郵便物をポストから引き抜いたら、見慣れぬスペルのエアメールがあった。
消印、オランダはハーグ。
昔、アムステルダムで映画を撮っていた元相棒がオランダ語をちょこちょこ教えてくれたが、どうも自分にはゲルマン語群の才能は皆目ないらしく、上達をみなかった。
近年、日本で一時期横行した海外クジ詐欺でもまた再燃したのかしらんと開封。

これだった。
 ベルナール・ビュッフェ「グラスワインの婦人」1955 Galerie Maurice GARNIER, Paris

ハーグのフランス大使館で催されるビュッフェ・エクスポジションへの招待状だった。
オランダか・・・今の身分じゃ思い立った時が吉日、と飛んで行けるわけもないのだが、この画廊、ビュッフェの作品を刷り込んだ素晴らしい招待状をこの7年間、隔月でずっと送り続けてくれている。
この画廊とは、シャンゼリゼ通りと交差するマティニャン通りにあり、ビュッフェ作品のみを扱う瀟洒な「ギャラリー・モーリス・ガルニエ」のことだ。パリ8区。
招待状には常に「モーリス・ガルニエでお待ちしています」とあるのだが、今回はオランダでの個展。

この画廊には、深い深い思慕がある。まさか自分ごときが顧客なわけもないが、
拙宅のなかでは小さめの額装におさめてある「猿」の絵は、この画廊のオーナー、ガルニエ氏とその夫人とスタッフに戴いたものだ。この一帯には超高級画廊とオークションハウスが軒を連ね、目の前にはクリスティーズがある。一生、当方には縁のない世界。

1999年、春。フランス生活を終え、あと2週間ほどで帰国というとき。イギリス経由で帰ることになっていて、そのロンドンにも頼まれた用があったので数日滞在することにしてあり、準備で少々忙しかった。
その折、この画廊でビュッフェの「私の猿」と題した個展があると聞いた。なんでだろう、なんでだか。行ってみることにしたのである。
身のまわりはすべて整理し終え、最低限の着替え以外はすべて船便で送ったあとで、コートのポケットにあるのはレストU(格安の学生食堂)の回数券とカルト・ドランジュ(交通機関のパス)、そして小切手のみ、財布にはフランスフランの紙幣一枚もない身だった。現金はイギリス用に残さねばならなかった。だからホント、見てみるダケ。

昔の勤務先や離れでは、絵画すべてがビュッフェのリトグラフ群で統一してあり、定規をあてて線引いただけのよう(に見えた・・)な、直線のみで構成された額内に、「こんなもん、誰でも描けそうなものだけどなぁ・・」と、どこにそれだけの価値があるのか、教養もない娘にはとんと分からないのだった。

時、日本はバブル経済の終焉は見ていたが、その名残りにまだ酔っており、店内では数万、数十万円クラスの銘醸ワインにお一人三万円以上のコース料理がバカスカ売れた。
そして、それを毎週のように女連れで楽しむのが土地成金たちで、これまたごつくてデカイ弁当箱のような携帯電話で、あたりかまわず食事中に土地転がしの指示を飛ばすような光景に嫌悪を感じたものだった。
慎ましくも終の棲家になる筈だった人らを弾いた金で、毎回違う美女を侍らせ、サシの入った肉をワシワシと口に運んでいる様子を憎んだ。「日本はこうして腐っていくんだなぁ」。小娘、どうしてあんなにも苛立っていたのだろう。

その人らが額装を指して、「これ、ビュッフェね。高いんだよ。買っておくとイイ投資になるよ」とこれまたデカイ音量で語る口調にひどく粘つくものを感じたし、どうもその様子と相まって、絵自体にも良い印象など持てなかった。
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