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2013-04-10 [他愛無事]

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4月2日(火) 白を許された中村さんの日
江戸で初めて常設の芝居小屋を建て、上演した後西天皇や将軍家の前でも披露した舞踊「猿若」を創作した猿若勘三郎が、江戸歌舞伎の始まりとなる猿若座を創設したのが今日でした。 現在、跡地とされる東京都中央区京橋には記念碑が建てられています。 芝居の最初と最後に引かれる定式幕において、白色を使えたのは彼らだけ。これは幕府の御用船で勘三郎が音頭をとった褒美に由来しています。 一座は名声を得たものの、火事に悩まされ芝居小屋を消失するといったトラブルも抱えていました。 猿若座は後に名前を中村座へと変え、その当主は中村勘三郎として知られるようになったのです。

新歌舞伎座、開場。こけら落とし。地場は少し華やいでいる。
界隈で飲食店を営んでいる友人たちはこの三年まことに厳しくも堪えた。これから盛り返せるといい。ね。

4/4 サンパール荒川 柳家小三治独演会
前座に孫弟子にあたる柳家ろべえの「たらちね」、小三治師は「二人旅」、仲入りして「茶の湯」。
会場最寄り駅は根岸の三ノ輪。つまり、茶の湯は根岸ゆえに地場噺である。
年明けてからひどく体調を崩されたと聞いていた。ハリハリシャンシャンと声が通るろべえさんの後に、よりお声が届かない。
が、聴衆、満席のホール全体が耳をダンボに、皆心持ち前傾している。すげぇもんだ。芸は削いで削いで小さく小さく。


今は足が悪いため、余裕を見てかなり早く会場に着いてしまった。山本夏彦の「浮き世のことは笑うほかなし」を読んで時間を待つ。どうも小木新造氏との対談の頁がスムーズに読めなくて、繰り返し頁を戻していた。
湯水のように美術予算を使え、視聴率なぞ気にならん(かった時代の)NHKならではのことだけれども、「時代考証の専門家」として一家言、「あの時代にあんな布団の始末はなかった」をやり出したとて、そりゃあセンセ、たしかに不勉強でしょうが、今やNHKも、吉田茂と白州次郎がオーストリアはリー○ルの金魚鉢グラスで樽熟ワインを飲むシーンが平気で出てきます。

が、帰途の電車内で同じ頁をもう一度開くと、どうもするすると抵抗なく頭に入っていく。
はぁはぁ、なるほど。これはあたくしの不見識な便秘頭が、高座の一席でこうも揉まれたのだな、と頭を掻いた。


4/10 ヒューマンドキュメンタリー映画館 「小三治」 監督:康 宇政
たまたまなんだが、続く。夕刻、日比谷図書文化館の地下にある207席の会場はガラガラ。
きっと、仕事帰り組が開演ぎりぎりになだれ込んできて、そのうちに埋まるのだろうと思っていたら、とうとうそのままで拍子抜けした。これじゃ会場費も出ないだろうと。ああ、人を誘ってくりゃよかった。もったいない。
2009年の公開時は3万人以上を動員した。もったいないなぁ。

ドキュメンタリーは、この康監督のようにただ吐息を吐息として撮るような、ぽくぽくと平穏な画の進行が好み。
とくに入船亭扇橋師とのやりとりがたまらなく好物で。
旅公演の途、露天風呂で小三治師の股間にちゃぽちゃぽと湯をかけてくる扇橋師に「せこいあすびしてんね。あんた、女房にもそんなことするのかい。感じるかいって」「しやしねえよ」「女房にもしやしないことをするって話がおかしいじゃないか」。こんな会話や、扇橋師のおはこ「鰍沢」を高座にかけるに、「ちょっとやっとくれよ」「イヤだよ」「ちょっと考えがあんだよ」「イヤだよ」。・・こんなのが好きなんである。

湯宿で二人して持ち込み惣菜を卓上いっぱいに広げて、わしわしと召し上がっている処は、あれはどこの湯治場なんかしらとか、びわ・・誰も手をつけてないなぁ、よく太って美味しそうだなぁ、若いときはびわなんてちっとも美味そうと思わなかったなぁとか、稲荷が美味しそうだなぁ、帰りは稲荷買って帰ろうかなぁとか、ハムだけ重ねたサンドイッチって旨いんだヨネとか、もう三度目の鑑賞なのに毎度同じ場面ごとに引っかかって腹を鳴らしている。
とにかく当時すでに古希をこしていたこのお二方、もしゃもしゃわしわしとよう食べるのである。とにかく美味しそうに召し上がるのである。あの細いお躰のどこにこのカロリーが収まるのだろうと毎回思うのである。脳味噌をお使いだってことですわねぇ。

食事が終わり、おしぼりで台をきっちり四角く拭きながら「この癖は柳家なんだよね。このまえ、”柳家ですねえ”って云われて気づいたんだよね。柳家は(食事の後に)拭くんだよ」。
小さんの癖だったという。
「こういうのを背中を見て育つってことなんだろうな」と、弟子には稽古をつけないひとが呟く。


「教えることなんてないんだよ」は、この台拭き場面である。

帰路、リハビリがてらぽくぽく歩く。
ハムサンドにするか、できあいの稲荷寿司でも買うかとコリドー街まで来たところで、地図を広げて完全に迷っている白人父子がいる。
「お困りでっか」「お困りです」。
完璧なオージー・アクセントと昭和通りまでご一緒に。にしても、小三治師の高座や演目のあとは、どうしてこんなに道に迷う人とあたるのだろう。なんの因縁かしら。あたくしのめんたまが普段なにも見ていないだけかしらん。

「初めての日本でジブリ美術館に行けた!」「夢のようだった!宮崎の世界は最高だよ!」と熱く語るのは坊やじゃなくて、お父さんのほう。5歳の坊やの宝物はジブリで買った猫バスのぬいぐるみ。明日は富士山に登るのだと、このときすでに9時をまわっていたのだが、今これから二人が目指しているのは夕飯の席で。タフだなぁ。
坊やは猫バスと一緒に登るのだそうです。
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